【本/数学】数学とは何か/M. F. Atiyah(編訳:志賀浩二)
- 作者: マイケル・F.アティヤ,志賀浩二
- 出版社/メーカー: 朝倉書店
- 発売日: 2010/11/25
- メディア: 単行本
- 購入: 10人 クリック: 463回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
本の紹介
数学者マイケル・アティヤの講演や論説、インタビュー記事を、数多くの数学書の執筆もされている志賀浩二さんが編訳し、一冊の本にまとめたもの。
数学とは何か/数学と物理学との関係性/数学研究の進め方/数学と社会の関係/数学の展望、などの主題に対する一流の数学者の深い洞察が伺えます。
背景
本書を読む前に抱いていた疑問
- 数学は人間の精神が生み出したもの?私たちの世界とは独立に存在するもの?
- フェルマーの最終定理やポアンカレ予想といった問題が重要であるのはなぜ?どのようにして重要な問題だと結論しているの?
- 数学における「証明」はどのような基礎に立脚しているの?ある定理を証明するために、複数の数学分野の手法を利用したり、時には新しい分野を開拓することもあるときいたことがあるけれど、ルールは統一されているの?
疑問に対する回答
1. 数学は人間の精神が生み出したもの?私たちの世界とは独立に存在するもの?
このような疑問は、
”数学そのものに向けられた古くからある伝統的な問題”
第1部 数学と科学 知性・物・数学
とのことです。
”数学の定理は発見なのか、発明なのか? 数学は人間精神の創造なのか、物理的な実在の反映なのか?”
第1部 数学と科学 知性・物・数学
という問いに答えることは難しくて、数学者の中でも意見は一致しておらず、その人の考え方や信仰に依存するようです。哲学的な問題ですね。
アティヤ先生ご自身は
”数学は人間の集団の知性の中にあるものである。
たくさんの定理は存在するが、私たちはその中から欲するものだけを選択する。”
第1部 数学と科学 知性・物・数学
という立場。
私はアティヤ先生の意見の延長として、以下のような立場をとることにしました。
私の考え
数学は物理的な世界に存在する知的生命の集団の知性の中にあるもの。
物理的な世界に存在する知的生命はその世界によって規定される。従って、そのような知的生命の集団の知性の中にある数学自体も物理的な世界を反映したものであると考えられ、この数学が自然を記述できるということは不思議ではない。
そして、知性をもつ生命であれば、その中に存在する「数学」はどれも同じ。
ただ、数学の発展の仕方はその知的生命の性質に大きく依存する。
例えば人間の場合、整数を認識することは容易であるが、それに比べて実数や虚数の認識は苦手である。虚数が本質的な意味を持つような、量子力学によって記述されるミクロな世界に存在する知的生命であれば、整数よりも虚数を認識する方が容易いかもしれない。
以上が本書を読んで私が考えたこと、とろうと思った立場。本書からの影響が大きく、ほとんど同じ意見になってしまいました(笑)。
ただ私の意見では人間を知的生命に拡大しています。チンパンジーなんかにも数の概念はあるようですしね。アティヤ先生も簡単のために知的生命の代表として人間という言葉を用いただけかもしれませんけれど。
数学の実用的な側面だけでなく、このような本質的な問いについてたまには考えてみることも大切だなぁと感じました!
2. フェルマーの最終定理やポアンカレ予想といった問題が重要であるのはなぜ?どのようにして重要な問題だと結論しているの?
"よい問題であるための真の判定基準は、その解を求めていく過程で、新しい強力なテクニックが見出され、それがさらに広く適用されていく場が見出されていくことにあります。""ひとつの問題の重要性を、その解が得られる前に評価することは、決して容易なことではありません。""問題の選択と形式化は、ある程度数学者ひとりひとりの直感に頼っており、それは芸術のようなものなのです。"第2部 数学と社会 数学の進歩の確認
最後に
自分が興味を持った部分について紹介してきましたが、他にも数学と人工知能との関係や経済とのかかわりなどについても言及されています。
第3部では20世紀の数学の中心的な各テーマの展望について述べられています。この部分の理解が不十分なので、数学の勉強がある程度進んだ段階で読み直したいと思っています。
第1部 数学と科学
知性・物・数学
数学ー科学の女王と召使い
科学の良心
第2部 数学と社会
数学とコンピュータ革命
数学の進歩の確認
研究はどのように行われるか
第3部 数学と数学者
20世紀における数学
マイケル・アティヤ教授へのインタビュー
個人的な歴史